ponの生い立ち① 〜誕生から高校時代〜

生い立ち

こんにちは!はじめまして✨️

ponと申します。

このたび、初めてブログを開設しました!

しかし「あんた誰?」状態と思うので、わたくしponの生い立ちを好き勝手書ていこうと思います。

時間がある方、読んでいただけたら泣いて喜びます。

3人兄妹の末っ子として誕生

生まれは有名な観光地のある、九州の地方都市。

昭和も終わりに近づく頃、3人兄妹の末っ子として誕生しました。

父は一度も声を荒らげたことがないくらい優しくて、ごく一般的なサラリーマン。

母は料理上手で、すぐおちゃらける主婦。(よく歌って踊ってたな…)

兄は5歳上で超怖かった、、野球一筋。

姉は明るくてお調子者。(同年生まれですが、学年は違います。11ヶ月差生まれ)

そして私。常に兄姉の様子を見て「こうしたら怒られるんだ」と、自然と周りに合わせる方法を身につけてきた気がします。

正直、私の記憶では父母の夫婦仲は悪く映ってたし、兄は超怖いし、姉は部屋を汚すし、「あー早く家を出たい!」と小さいながらに思うくらい、心の自立は早かったと思います。。

ずっとピアノを習っていましたが、ピアノの先生が超怖かった。。だから本当は辞めたかったけど、母に聞きれてもらえず嫌々レッスンに行っていました。

でも、弾けないのは嫌だし先生に怒られるのも嫌だから、死んだ魚の目で練習はしていました。(ハノンとか超面白くないのに、延々とさせられるから・・・)

「音」を「楽」しむなんて概念を持てたのは、大きくなってからです。(今では大好き♪)

小3〜小6は、書道も習ってました。これは楽しかった!

毎月、書道協会の冊子がもらえるのですが、うまくかけたら自分が書いた作品が写真版に載るので、書道の先生に「ponちゃん、今回は写真版に載っとるよ!良かったね☺️」と言われると、それが嬉しくて誇らしくて✨️

年に1〜2回、昇級試験みたいなのがあって、どんどん級があがり段を取れるようになったら更に嬉しくて、嫌々やっていたピアノとは違って達成感がありました。

そして、母が昔バレーボールをしていて(高校時代に県大会出場したらしい)、子供会のバレーボールのコーチをしていたり、ママさんバレーをしていたり、テレビでバレー中継がある時は一緒に見たりして、自然と私もバレーボールを好きになっていました。

小学校高学年でバレークラブに入り、下手っぴなりに楽しくプレーしていました。

本当は中学校では吹奏楽部に入りたかったのですが、中学校に吹奏楽部がなくて部活どうしようか悩んでいたら、ちょうど小学校の頃のバレークラブの子に誘われたので中学でもバレーボール部に入りました。

しかし、練習はキツイし同級生は仲間外れとかする苦手なタイプの子がいて、それが嫌になって中2の途中で辞めました。。(その後は、合唱部に入りピアノ伴奏メインにしてました。ピアノ習ってて良かった!)

ちょうどこのころ、ジャニーズにハマり、Vリーグの男子バレーにもハマり、私のオタクの原点はここから始まったと思います。(Myojo買ったり、アイドルショップに行ったり、月刊バレーボールとか推し選手の写真集とか買ったり、ファンレター送ったり、友達の誘いを断ってまでVリーグ中継見たり…楽しかったなぁ笑)

小学校中学年から医療に興味を持つ

さて、ここからは少し真面目な話をばっ!笑

幼稚園のころの将来の夢は「お花屋さん」とか「ケーキ屋さん」だったのを覚えていますが、小4くらいから、明確に将来の夢は『看護婦さん』になっていました。

きっかけは2つ。

1つ目は、祖父が肺がんで入院していてお見舞いに行ったとき、初めて生の医療現場をみて「かっこいい!私もやりたい!」と思ったこと。

でも、、、でもですよ?

そこでオタクの私に刺さったのは、、

『医療ワゴン』

・・・ん?・・・いりょう、わごん?

そう、看護師や医師じゃなくて、医療ワゴン・・・

あのなんとも言えないイソジン消毒の匂い

鑷子立てに立てられている鑷子の凛としたカッコよさ

膿盆の絶妙なカーブ

清潔ガーゼがたくさん入った存在感のある滅菌カスト

それはもう、見たこともない銀色に光輝く医療器具たち・・・✨️

そのすべてが、幼心にキラキラと眩しくぶっ刺さったのでございます。(いや、看護師とか人を見れや)

はい、2つ目のきっかけ。

それは当時テレビであっていた『ナースのお仕事』

それを見て、「看護師の仕事っていいな、なりたいな」と思ったのですが、、、

画面越しの私に1番刺さったのは、、

『ナースキャップ』

・・・ん?なーす、きゃっぷ・・・

主人公の朝倉さんの可愛さもあいまって、「これ!私も絶対付けたい!」と思ったのでございます。

ナースキャップの可愛さにやられた私は、なんとかして被りたくて、白い紙でナースキャップを自作して(曲線を出すのが割と難しかった)、それを頭に被って父親を患者に見立て、看護師ごっこをしていた記憶があります。(父もよく付き合ってくれた、感謝する)

でも、、悲しいかな、私が看護大学に入学するころにはナースキャップはほぼ廃止に…(T_T)

戴帽式もなければ、憧れのナースキャップなんて化石と化しておりました。。。

あー、残念すぎる!!

【まとめ】

私が看護師になりたいと思ったきっかけは、オタクでした☆(なんか違う)

中学生で天使との出会い

ここからはちゃんと真面目な話を…!(ホントか?)

中学生になったオタクちゃん。

将来の夢は看護師一直線ですが、ここで運命の出会いがありました。

母の妹(私の叔母)が、赤ちゃんを出産し産後1ヶ月、我が家に滞在したのです!

そこで初めて「新生児」という、きゃわいい赤子に触れて私のハートは撃ち抜かれました。

”小さすぎる手足”(ズキューン!)

”とんがった小さいお口”(ズズキューン!!)

”ぷにぷにのほっぺた”(ズズズキューン!!!)

すべてが異次元の可愛さ。

このときに『助産師』という仕事を知り、「こんなかわいい赤ちゃんを毎日みれるとかサイコーやん!よし、看護師より助産師になろ!」と思ったのであります。

いやー、今思えば浅はかな動機…

ただ単に赤子触りたいだけの不純な動機…

だから助産学生時代は痛い目みたなぁ…(遠い目)

そして、中学校では友達の勧めで生徒会執行部に入り、保健委員長をしていました。

保健だよりを書いたり、身体測定のときには養護教諭の手伝いをしたり、保健師のマネごとみたいなことをやっていましたが…

保健師や養護教諭にはあまり興味を持てず、やっぱり「助産師になりたい」という夢は変わりませんでした。

う〜ん、、、やっぱり一度オタクの癖に刺さったものは響きますなぁ〜(異論は認めないYO!)

【まとめ】

私が助産師になりたいと思ったきっかけは、「オタク、赤ちゃんの異次元の可愛さに心打ち抜かれる」でした☆

高校は吹奏楽に没頭♪

さて、無事に高校受験も突破し、高校生になったオタクちゃん。

中学では泣く泣く吹奏楽ができなかったから、高校では絶対に「吹奏楽部に入る!」という希望を胸に、友達と恐る恐る音楽室の重たいドアを開けました。

その先に広がる、光輝く楽器たちの花園・・・✨️

”吹奏楽の花形、トランペット”

”カタツムリみたいで可愛いホルン”

”仕組みが謎なトロンボーン”

”でっかくて「これ吹けるの?」のチューバ”

音出し聴いただけですでに鳥肌・・・

べーのチューニング聴いて涙目・・・

憧れの吹奏楽部が、今目の前にあると思っただけで身震いしました。(武士かて)

入部してすぐに担当楽器を決めるのですが、本当はトランペットとか金管楽器がしたかったん。。

でも、残念ながら当時の私は歯を矯正中で、歯にワイヤーが付いていたので、金管楽器のマウスピースは唇が傷だらけになるということで、渋々フルートに・・・(フルートに失礼、謝れ)

でもでも!!

そこから3年間、本当に楽しかった!

フルートは音量的に金管楽器にかき消されて少々悲しくなるときもありましたが、愛楽器に「フルリーナ」と名前を付けて、オタクな私はよく磨いてあげていました。ふふふ♪

一度だけ県大会に出場することができて、小規模の吹奏楽部なのに本当にここまで頑張って良かった!吹奏楽ってこんなにも楽しくて、充実感を感じられて、心が満たされて、、、サイコーやん!って、まるで漫画のように青春を謳歌していました。

一生の友達もできたし吹奏楽の楽しさも堪能でしたし、本当に幸せな3年間でした。

彼氏はできなかったけどな!ガハハ!

なんとか志望大学に合格!そこにいたのは・・・

そして、助産師になるためにはまず看護師免許を取らないといけないと分かっていたので、部活の傍ら志望校をどこにするか進路についてもあれこれ悩みました。

当時、助産師になるための進路先としては、

  • 看護専門学校3年→助産学校1年
  • 看護大学4年(助産課程があるところ)

主にこの2つ。

私は3人兄姉の末っ子なので、金銭的に専門学校かもしくは大学なら国公立しか無理と親にいわれていたので、「私の成績で行ける国公立大なんてないよ、、専門学校に行くしかないか…」と思っていました。

しかし、そんなオタクちゃんに吉報が!!

高2のとき、担任の先生が「〇〇市(車で1時間の距離)の公立大に看護学部ができるって!助産師もとれるって!ponちゃん、ここに行ったらいいよ!」と名指しで私に勧めてくれました。

他にも看護師志望の子はたくさんいたのに、何故か私に勧めてくれて…ありがたいと思うと同時に「マジか!絶対そこに合格して行ってやる!」と決心しました。

そして高3になり、その大学の体験入学に同級生4人と電車で行きました。

大学は思ったより随分田舎にあってビックリしましたが、「受かったらここで大学生するんやな〜」とオタクな妄想しながら学内を案内してもらいました。(看護学部棟はまだ建設中で見れなかった)

そしてなんと、、

その時、学内を案内してくれた学生が、、

実は、、

今の夫でーーす。(ウケる!)

夫の第一印象は「え・・金髪?(ダサッ)まぁ、でもこんな人でも彼女おるんやろうな〜」という、超失礼な印象でした。。(女子:男子=8:2の大学だったので、男子は大体彼女ができる)

まあ、その話は後述するかも…(いらんて)

で!!

無事に校内の推薦枠はとれたので、まずは推薦入試を受けて、もし不合格だったらセンター入試を使って一般入試で受験することに。

でも新設の学部だったので、過去問もないし塾にも行ってなかったので、行き当たりばったりで受験するしかありません。しかも、先に受けていたセンター試験の結果はボロボロで悲惨な状態…

推薦入試で合格するしかなくなった私は、切羽詰まってました。

面接対策は進路指導の先生がやってくれましたが、頭の中オタクな私の発言なんて先生にとっては「・・・?」だったみたいで、「ごめん、さっきから何が言いたいかさっぱり分からん。」と言われてしまい、張り詰めていた私は先生の前で、思わずポロポロと泣いてしました。。

でも、さすがは進路指導の先生。

「泣かんでもいい。この3年間ponちゃん見ていて思ったのは、いつも笑顔やったこと。どんなときも笑顔やったやんか。それを出したらいい。」

と、また泣けるようなことを言ってくれました。

まさかこんなオタクな私のことを見てくれていた先生がいたとか思ってなくて、本当に嬉しかったし、今思い出してもあの言葉は忘れられないし感謝しかありません。

そのおかげもあって、推薦入試の面接ではMA☆JI☆DE☆笑顔しか振りまいてないのに、なぜか合格することができました。

感謝感激雨あられでございます。

ありがたや〜〜!

【まとめ】

オタク、頭の中はぐちゃぐちゃでも笑顔で入試を乗りきる☆

〜笑顔は自分を救うと悟った18の夜〜

長文駄文にも関わらず、読んでいただきありがとうございました。

【次回予告】

〜大学時代〜

読んでくれると嬉しいです♪

タイトルとURLをコピーしました